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野口遵 (実業家)の卒業・出身大学
出身大学:東京大学 偏差値
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野口 遵(のぐち したがう、1873年 - 1944年)は、日本の実業家である。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父親 父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。
朝鮮半島進出後の野口遵は政商であった。朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、咸鏡南道興南(現・咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成した。さらに、日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出した。
1873年 7月26日 金沢市 金沢の貧しい士族の家に生まれた。
1896年 帝国大学工科大学電気工学科(現・東京大学工学部電気工学科)を卒業した。

